大阪地方裁判所 昭和60年(わ)4420号 判決 1988年7月27日
主文
被告人両名をそれぞれ懲役三月に処する。
被告人両名に対し、この裁判の確定した日から二年間それぞれその刑の執行を猶予する。
理由
(犯行に至る経緯)
被告人両名は、いずれも昭和六〇年九月二二日、大阪府泉佐野市市場町五〇四番地先空地において開催された九・二二集会実行委員会主催の「関西新空港粉砕現地闘争集会」に参加した後、引き続き同日午後二時三五分ころ右空地を出発したデモ行進(許可申請者は九・二二集会実行委員会事務局員国賀祥司)に参加していたものであるが、右デモ行進には、いわゆる旗持ち梯団を先頭に学生、反戦青年委員会、部落解放同盟荒本支部の各梯団を構成する合計百数十名が参加し、三列縦隊で行進した。一方、警察側は、大阪府警察本部警備部所属の私服警察官十数名が右デモ隊の右側を併進して指導、規制に当たつたほか、同警備部第二機動隊の二個小隊約四〇名がデモ隊員の後方から二台の車両に分乗して追従し警備に当たつていた。
右デモ行進は、当初は格別の違反もなく推移していたが、市道泉佐野山手線貝ノ池交差点を過ぎるあたり(同市日根野五八〇五番地興和総業資材置場先)から、本件デモの許可に際し泉佐野警察署長が付した許可条件(以下単に「許可条件」という。)に違反し、旗持ち梯団及び学生梯団の一部が道路中央線を越えることがあり、同警備部警備第二課所属の渡辺義則警部補が警告するとこれに従うという状況が何度か繰り返された。同日午後三時二分ころ、同市長滝二二六六番地の一滝本鉄工所前において、学生梯団最前列右端の男がシユプレヒコールとともに挙げた右手拳が警備のため同人のすぐ右側を併進していた前記渡辺警部補の後頭部に当たつたので、同警部補の後ろでこれを目撃した同警備部警備第一課所属の岡田警部が「公妨(公務執行妨害の意味)になる。やめとけ。」などと警告を発したことから、デモ隊の進行が止まり、デモ隊員らは、渡辺警部補、岡田警部の方を向いて口々に「お前ら何しとるんや。」、「帰れ。」などと言いながら詰め寄り、道路左側端に寄つて行進するという許可条件に違反しそうな状況が発生した。そこで、岡田警部に追随していた同警備部警備第一課所属の〓下明巡査部長が、右条件違反を防ぐため、センターライン上に立ち、学生梯団の方を向いて両手を広げてこれを制止していたところ、同梯団の中にいた西村泰司が「お前なにしとんや。」と言うなり、右手で〓下巡査部長の左頬を一回殴打した。そのため、〓下巡査部長は、直ちに西村の肘のあたりをつかみ、「公妨(公務執行妨害の意味)だ。逮捕する。」と申し向け、同人を公務執行妨害の現行犯として学生梯団から引き抜き逮捕しようとしたが、逆にデモ隊に引きずり込まれそうになつた上、同人と〓下巡査部長との間に他のデモ隊員が割つて入り、列を作つて右逮捕行為を妨害したため、結局、この場では逮捕を断念した。
その後、デモ隊は再び行進を始めたが、同警備部警備第二課所属指導担当管理官警視合原文生は、〓下巡査部長から右の状況を聞き、西村逮捕のため機動隊の出動を要請し、長滝第一住宅前交差点を右折した直後あたりから機動隊による併進規制を始め、岡田警部と警備部指導担当の三宅警部が打ち合わせた上、同日午後三時一五分ころ、同市長滝三八三八番地先路上において、四、五名の機動隊員が学生梯団の先頭でデモ隊の前進を阻止し、七、八名の機動隊員が右デモ隊の三列目と西村泰司のいる四列目の間を分断するとともに、他の機動隊員がデモ隊の右側面から所携の盾を前面に出してデモ隊員らを道路端に向けて圧縮規制し、このような支援を受けて〓下巡査部長と岡田警部が学生梯団に突入し西村を逮捕しようとしたが、支援の機動隊員とのタイミングが合わず、デモ隊員らが西村の周囲に密集して逮捕行為を妨害し、警察官とデモ隊員との間でもみ合いとなつた。
(罪となるべき事実)
第一 被告人前川格は、学生梯団の先頭に立つて同梯団を指揮していたものであるが、同日午後三時一五分ころ、前記デモ隊に対する圧縮規制に従事していた大阪府警察本部警備部第二機動隊第七中隊第一小隊所属の知識文彦巡査が同市長滝三八三八番地付近路上から道路わきの水田内に転落した際、折りから西村泰司に対する検挙活動の撮影、記録等の任務に従事していて右事態を目撃した同機動隊第七中隊第二小隊所属の上床忠昭巡査において、直ちに右知識巡査のもとに駆け寄つて同巡査の衣服をつかみ立たせようとしていたところ、被告人前川は、右上床巡査の背後に回り、同巡査のヘルメツトのしころの上から手拳で同巡査の後頸部を一回殴打する暴行を加え、もつて、西村の逮捕支援行為等の職務に従事していた同巡査の職務の執行を妨害した
第二 被告人松本彰は、学生梯団の最後尾に位置していたものであるが、西村泰司を逮捕するため機動隊による前記分断、圧縮規制が行われた同日午後三時一六分ころ、同市長滝三七四五番地元和泉製函加工所先路上において、学生梯団の他のデモ隊員らと共に腰を低くし前方のデモ隊員を前に押して密集させ、右西村の逮捕を妨害したため、デモ行進に対する警察側の指導、規制を指揮する任務に従事するとともに、右妨害行為を防止する等の職務に従事していた同警備部警備第二課合原文生警視において、被告人松本の後ろから同人の肩をたたき、「危ないやないか。やめろ。逮捕の妨害をするな。」と警告を発したところ、左足で同警視の右大腿部を一回蹴りつける暴行を加え、もつて、同警視の職務の執行を妨害した
ものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人らの主張に対する判断)
弁護人らは、本件各公務執行妨害の公訴事実に対し、被告人らの各暴行の事実を否認し、かつ、その前提となる警察官の職務行為につき、一 仮に、西村泰司が〓下巡査部長の顔面を一回殴打した事実があつたとしても、本件のような場所、状況において右西村の現行犯逮捕に着手することは、その裁量を逸脱した違法な行為であり、二 同人を現行犯逮捕するに当たり、現行犯人以外の被告人前川に対して、警察官が本件のごとき分断、圧縮規制をすることは違法であり、三 このような分断、圧縮規制の一環としてなされた合原警視の被告人松本に対する両肩をつかむ行為も違法であるから、被告人両名が暴行を行つたとしても、違法な職務行為に対する暴行であり、公務執行妨害罪に該当しないのみならず、右暴行自体、違法な分断、圧縮規制に対し自己及び他のデモ参加者が正当なデモ行進を継続する権利を防衛するため、とつさにした反撃行為と認められるのであるから、正当防衛として違法性が阻却され、単純暴行罪としても犯罪が成立しないと主張するので、以下検討する。
一 まず、各被告人の上床巡査、合原警視に対する各暴行の事実について検討する。
被告人前川が上床忠昭巡査のヘルメットのしころの上から同巡査の後頸部を一回殴打したとの事実については、証人原広光(第六回公判調書中の同証人の供述部分。以下、原証言という。)がその始終を目撃し、被告人前川は上床巡査の後方に駆け寄り、同巡査の背後からその首の付根あたりを殴つた旨供述している。そして、同証人は、上床巡査と共に西村泰司に対する検挙の状況につき採証活動に従事していたところ、水田に落ちた機動隊員知識文彦巡査を支援するため水田に降りた上床巡査の動静を追つていた際、数メートル離れた道路上から本件犯行を現認したというものであつて、その目撃の場所及び状況に照らし、同証言は十分信用することができる。また、被害者である証人上床忠昭(第五回公判調書中の同証人の供述部分。以下、上床証言という。)も、背後から殴られたような感じを受け、すぐに後ろを振り返つたところ、被告人前川だけが立つていたので、直ちに逮捕行為に移つた旨、原証言に符合する供述をしており、これらによれば、被告人前川の上床巡査に対する暴行の事実を認定するに十分である。なお、証人知識文彦は、上床巡査から支援を受け、振り返つた際、上床巡査の背後から同巡査を殴つた者がいたことは確認していない旨述べているのであるが、知識証人は、西村に対する逮捕の支援活動に従事中、デモ隊員とともに水田に落ち、そのデモ隊員を制圧しようとしていたところ、上床巡査に肩を持たれ、振り向いて同人を確認するや、その場を離れて道路上に戻つたものであることが認められ、このように、ある程度混乱した場面において、他のデモ隊員の動きに気を取られていた知識証人が、被告人前川の存在や行動に気付かなかつたとしても何ら不合理ではなく、このことが直ちに前記原、上床の各証言の信用性を減殺するものとはいえない。また、原、上床各証言からは、知識巡査が制圧しようとしていたデモ隊員の存在が明確でないのであるが、前記のようなある程度混乱した状況と各人の注視する対象が異なつていたことなどを考えれば、これをもつて右各証言が直ちに不合理であるということはできない。
ところで、被告人前川は、本件現場で機動隊員の分断、圧縮規制によつて水田に落とされ、すぐに道路に上がろうとしたところを、また機動隊員から胸倉をつかまれるような形で落とされ、そのまま水田の真ん中あたりまで押したり引いたりされながら連れて行かれ、その場で身柄を拘束されたのであつて、機動隊員を殴つたことはないと供述する。しかし、右供述は、同被告人の大まかな動きの方向としては前記原、上床各証言と矛盾しないものの、その行動の詳細についてはこれと符合するような客観的証拠はなく、右各証言に比し、直ちには信用することができない。
証人合原文生(第七回公判調書中の同証人の供述部分。以下、合原証言という。)は、被告人松本から右大腿部を一回蹴られた際の状況につき、その前後の事情を含め具体的、詳細に供述しており、これが本件の被害者となつた警察官側の証言であることを考慮しても、その供述内容には格別不自然、不合理な点はない。さらに、証人池田正史(第八回公判調書中の同証人の供述部分。以下、池田証言という。)も、右事実につき明確に供述しているところ、その供述内容は右合原証言に合致し、同証人が、当時合原警視の伝令と同人の護衛的な任務も担当しており、同人のすぐ右斜め後ろから同人とデモ隊員の間に入り、デモ隊員らの動きに注意していたことなどの事情に照らし、その信用性は高いものと認められ、これらによれば、被告人松本の合原警視に対する暴行の事実は、優に肯認することができる。
これに対し、同被告人は、本件の前後の事情については、おおむね前記各証言に合致する供述をしながら、本件の暴行自体については、自分の身体が警察官に触れた記憶はないと供述するにとどまるところ、前記合原、池田の各証言と矛盾するような客観的証拠はなく、他にこれらの証言の信用性を左右するような事情は窺うことができない。
二 次に、西村泰司の〓下巡査部長に対する公務執行妨害の成否及び西村に対する検挙活動の状況につき検討するに、関係各証拠によれば、前記犯行に至る経緯及び罪となるべき事実に記載した各事実を認めることができる。これらの事実によれば、西村泰司は、デモ隊員らに対しデモの許可条件に従うよう警告し規制する公務に従事していた〓下巡査部長に暴行を加えたものであり、警察官らが右西村を公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕するに際し、上床巡査及び合原警視は、その支援あるいは逮捕妨害行為に対する警告ないしその防止という職務に従事していたものであることは明らかである。
ところで、弁護人らは、本件は、学生梯団最前列の右端にいたデモ隊員がシユプレヒコールのために突き出した右手がそのすぐ右側を併進していた私服警察官の顔面前方に伸び出したところ、警察官がいきなり同梯団の先頭から三列目の右側にいたデモ隊員(A君)の顔面を手拳で殴打するという警察官による暴行事件を契機としたものであり、西村の行為は、これに対する正当な抗議行為にほかならないと主張し、証人小倉聡、同矢野晴枝、同岡智之の各供述(公判調書中の供述部分を含む。)中にはこれに沿う部分がある。
しかしながら、前記認定のとおり、西村の〓下巡査部長に対する暴行の事実は関係各証拠から優に認められるところであり、このような暴行が正当な抗議行為として許容されないものであることは明らかである上、弁護人らが主張する警察官による暴行事件については、関係者の供述によつても、その相手方はA君というのみで氏名さえ明らかにされず、その者による供述も積極的になされない事情の下においては、到底右事実の存在を認めることはできない。
三 そこで、弁護人らの主張にかんがみ、前記上床巡査及び合原警視の各被告人らに対する規制、警告等の措置が、関係法規に照らし許容されるものであるか否かにつき検討する。
検察官は、右各警察官の職務行為の根拠規定につき、被告人前川の関係で上床忠昭巡査については刑事訴訟法二一三条であり、被告人松本の関係で合原文生警視については警察官職務執行法五条であると釈明する。
そこでまず、警察官らのデモ隊員らに対する本件の分断、圧縮規制の適否について考えるに、右分断、圧縮規制の経緯及び状況は前記認定のとおりである。すなわち、この規制は公務執行妨害の現行犯人である西村泰司を逮捕するにつき、その妨害排除のためになされたものであるところ、右西村の犯行現場では、同人を逮捕しようとした〓下巡査部長がデモ隊員らの隊列に引きずり込まれそうになつたり、デモ隊員数名が〓下巡査部長と西村の間に割つて入つて逮捕の妨害をし、その後も西村は仲間のデモ隊員に囲まれて行進を続けていたのである。これらの事情から判断すれば、警察官らにおいて再び西村の逮捕に着手した場合、デモ隊員らがこれを妨害する拳動にでる蓋然性は相当高かつたということができ、このような場合、逮捕被疑事実の罪質、予想される妨害行為の程度等を勘案し、その妨害を排除するため、警察比例の原則に照らし必要最少の限度において、被逮捕者以外の第三者に対しても有形力を行使することができるものと解するのが相当である。そして、本件においてとられた分断、圧縮規制の状況は、前記のとおりデモ隊列の先頭部において隊列の前進を止める一方、同隊列の三列目と西村がいる四列目を分断するとともに、盾を用いるなどしてデモ隊員を道路端に向けて押したというものであつて、これが第三者に対する有形力の行使であることはもちろんであるが、現行犯人である西村の被疑事実が前記のとおりの公務執行妨害事件であつて、必ずしも軽視し得ないものであること、その場において同人を逮捕しようとした警察官らが、付近にいたデモ隊員らからある程度の実力行使を伴う妨害を受けて逮捕を断念したのであり、再度の逮捕着手に際しても同様の妨害のあることが優に予想され、現にデモ隊員から逮捕行為を妨害され、この場所でも西村を逮捕するに至らなかつたことなどの事情に照らせば、この程度の有形力の行使は、その方法においても相当なものであり、法によつて許容されているものといわねばならない。
なお、弁護人らは、デモ隊の中にいる西村に対して現行犯逮捕の措置にでると、デモ隊に著しい混乱を惹起することが予想され、かつ、本件現行犯逮捕に着手した場所も危険な場所であるから、本件現行犯逮捕は、裁量の範囲を逸脱した違法なものであるというのであるが、被疑者が属している集団のデモ隊員らの妨害によつて混乱が生じる可能性があるからといつて、そのような現行犯逮捕が一切許されないとは到底考えられず、また、本件分断、圧縮規制を行つた場所は、その西側に水田があり、道路と水田の間には道路からの深さ約四〇センチメートル、幅約三〇センチメートルのコンクリート製の側溝があつて、右側溝の西側コンクリート側壁の高さは水田から約三〇センチメートルであることが認められるが、関係各証拠によつても、この場所が他の場所に比して特に危険であるとか、一見して他に逮捕に適した場所があるのに、敢えて不適切な場所を選んだと認めるような事情は窺われず、その他弁護人らが指摘する諸般の事情を考慮しても、本件現行犯逮捕が、その裁量を逸脱した違法なものとは認められない。
したがつて、本件のデモ隊員らに対する警察官らの分断、圧縮規制は、現行犯人逮捕のため必要かつ適法な職務行為であつて、かかる適法な職務行為に従事中に水田に転落した知識巡査を支援すべく、同人を立たせようとしていた上床巡査に対する被告人前川の暴行が、公務執行妨害罪を構成することは当然である。
また、被告人松本が他のデモ隊員らと共に、学生梯団の最後尾から隊列を前方へ押すなどして西村の逮捕行為を妨害していたことに対し、合原警視において被告人松本の左肩をたたき、「逮捕の妨害をするな。」と警告するなどの行為は、何らそれ以上の有形力の行使を伴うものではなく、弁護人が主張するごとく、警察官職務執行法五条に定める制止行為には当たらず、右適法な現行犯人逮捕の妨害防止のための警告であると認められるのであつて、これが警察官職務執行法五条に定める適法な職務行為に該当することも明らかである。
四 ここで、被告人前川の顔面等の受傷について言及する。
関係各証拠によれば、同被告人は、昭和六〇年九月二二日午後三時一五分ころ、前記罪となるべき事実第一記載の水田内において逮捕され、引き続きパトロールカーに乗せられて大阪府泉佐野警察署に連行されたのであるが、パトロールカーの中で鼻のあたりから出血し、護送の任に当たつていた上床巡査が同被告人の白色カツターシヤツでこれを拭いたこともあつて、右カツターシヤツには相当の血痕が付着したこと、その夜、同署で同被告人の取調べに当たつた林恭則巡査部長は、同被告人の鼻の右横とあごの下に擦過傷があるが、血は乾いていることを確認したこと、翌朝、担当警察官が同被告人を大阪府泉南郡熊取町所在の医療法人三和会永山病院に連れて行き、同病院の医師の診断を受け、口唇部打撲創により消毒と二日間の投薬の処置を受けたこと、以上の事実を認めることができる。
ところで、被告人前川の右受傷については、同被告人は、本件現場から泉佐野署に護送されるパトロールカーの中で、左右に座つていた警察官から殴られ、鼻血が出たものであると供述するのに対し、証人上床忠昭は、同被告人にそのような暴行を加えたことはなく、同被告人が、水田の中で前屈みになつて倒れたときのほか、同被告人が怪我をするような状況はなかつたと供述する。そこで検討するに、林恭則巡査部長が確認した鼻の右横とあごの下の擦過傷及び診断書に記載された口唇部打撲創の傷害の程度に比し、司法警察員作成の昭和六〇年九月二七日付け写真撮影報告書添付の写真から窺われる同被告人の出血の程度はかなり多いことからすれば、この出血は主に鼻血によるものと考えるのが自然であるが、そうであれば、受傷後比較的早い時期に出血が始まるのが通常であると考えられる。ところが、右上床証言によれば、同証人が同被告人を逮捕した時点では、同被告人の出血は、鼻のところに血が滲んでいるのを確認したという程度のもので、パトロールカーに乗せたときにも、初めのうちは血は余り出ていなかつたというものであるのに、その後、泉佐野署に近付くにつれて大分出て来たというのであつて、この鼻血が同被告人の逮捕時の受傷に基づくものであるとすると、不自然の感を免れない。また、司法警察員作成の昭和六〇年九月二五日付け写真撮影報告書の番号26、27の写真は、右上床証言によれば、水田内で被告人前川を逮捕したあと、パトロールカーに連れて行く途中のものであるというのであるが、右写真に写つている同被告人の身体や着衣に鼻血が付着している形跡は認められず、この点からしても前記出血は逮捕時の衝撃によるものとは思われない。もつとも、同被告人は、裁判官の勾留質問に際し、裁判官からの「調べの際、暴行を受けたか。」との質問に対して、「ない。」と答え、警察官から暴行を受けた事実を否定していたかのようにも窺われるが、裁判官による右質問がそもそも取調べの状況を尋ねたものである上、当時、同被告人は被疑事件につき黙秘の態度を取つていたことなどの事情を考えれば、このことから直ちに同被告人の前記公判供述に信用性がないとは言い切れない。
以上の事情を併せ考えれば、被告人前川が受傷しなくても鼻出血をみるような疾病に罹患し、またはそのような体質であるかどうかについて医学的検査を経ていないので、同被告人の前記出血を受傷の結果と断定するにはなお検討の余地があるけれども、受傷の結果とすれば、それは同被告人が逮捕された後に生じたものであることの疑いを払拭し去ることができない。
しかしながら、右の受傷が同被告人の主張するように警察官の暴行によるものであるとしても、関係各証拠からは、その受傷の経緯が明らかになつたとは言い難く、また、同被告人の本件犯行が終了した後のことであるから、同被告人の犯罪の成否に影響を及ぼすものではない。
五 その他、被告人らの関西新空港反対運動に対する自治体の対応、本件デモ行進の前に開催された集会に対する警察の規制状況をはじめ、デモ行進が表現の自由の一環として憲法上保障された重要な基本的人権であること等弁護人らの主張する諸般の点を考慮しても、前記警察官らによる本件職務執行の適法性を揺るがすまでの事情はいまだ認めることができない。
また、以上の次第で、各警察官らの職務執行はいずれも適法になされたものであるから、これら警察官に対する暴行が正当防衛として違法性を阻却される余地がないことも明らかである。
よつて、弁護人らの主張はいずれも採用できない。
(法令の適用)(略)
(西川賢二 笹野明義 中山孝雄)